シリーズ吉原遊郭~遊び方編~②遊び方と料金

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シリーズ吉原遊郭、遊び方編、第二回は登楼してからの遊び方と料金についてです。

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遊女と遊ぼう!

初めて来たお客さんのことを「初会(しょかい)」と言いますが、初会の場合はまず「引付座敷」に通して妓楼と引き手茶屋の人と一緒に遊女とご対面します。ここで三々九度のような酒の飲み交わしをし宴会に入ります。

「宴会なんてしなくていい!」というお客さんも当然いますので、そういったせっかちなお客さんは個室持ちの遊女なら個室へ、そうでない遊女なら「廻し部屋」という大部屋に案内されました。廻し部屋は屏風で仕切られただけの部屋です。
部屋に案内されても、すぐに遊女が来てくれるとは限りません。忙しい遊女は一晩に何人ものお客さんを相手にしないといけませんので、あっちへ行ったりこっちへ行ったりしています。来てくれても、すぐに「ちょっと待っててね」と他のお客さんのところに行ってしまうなんてこともあり、酷い時はどんなに待っても来てくれない…なんてこともありました。
さて、吉原では一回目を「初会」、二回目を「裏を返す」、三回目を「馴染み」と言いました。よく「花魁は三回目まで肌を許さない」なんて話がありますが、実際にそれが本当だったと裏付ける史料はありません。そういう遊女もいたよというだけで、皆が皆そんな風にしていたわけではありません。あんまりツンツンしているとまた来てもらえなくなりますので、こういった対応はあまりしていなかったと考えられます。

怖い妓楼の独自のルール!

吉原は色んな妓楼があり、遊女もたくさんいましたが、独自のルールがありました。それは「一度登楼した妓楼以外に行ってはいけない。指名した遊女以外と遊んではいけない」というものです。非常に傲慢なルールですが、争いを起こさないための独自ルールだったようです。しかし客は高い金を払っていますので、どこで誰と遊ぼうとこっちの勝手という意識があります。そのため、他の妓楼で遊んだりする客もいましたが、そうしているとこれまで行っていた妓楼から散々な仕打ちを受けることになります。捕まって顔に墨を塗られて笑い者にされたり、軟禁して長い時間水も食料も与えなかったりと、かなりひどいものでした。
見兼ねた幕府がこのようなことを禁止して、ようやく収まりましたが、それまでは妓楼の殿様商売が幅を利かせていたようです。

料金はどれくらい?

吉原で遊ぶのは贅沢な遊びでしたが、これは見世や遊女によって異なってきますのでピンキリです。
下は5000円以下から、上は15万円以上まで。この料金は「揚げ代」と言いますが、実際には揚げ代以外にも酒宴の料金や「床花(とこばな)」という遊女へのチップ、また「惣花(そうばな)」という妓楼全体へのチップを包むとなると、100万はかかります。中でも床花は30~60万が相場とされていますので、派手に遊ぶとなると出費はどんどんかさんでいきます。
当然ながら、高額になりすぎて払えなくなるお客さんもいました。そういう客は四角い窓を開けただけの桶を被せて閉じ込め、家族の誰かがお金を払いに来るまで往来の晒し者にしました。これは恥ずかしいですね。

女郎買いは許されていた?

現代だと「夫がキャバクラに行った」「彼氏が風俗に行った」と怒る女性が非常に多いですが、江戸時代は女郎買いに非常に寛容な社会でした。日本人は性的なものに奔放な気質があり、売春に対して罪とする意識が希薄だった節があります。
男の間では遊びとして通っていても、女性からしたらどうだったかと言うと、女性の立場からも許されていた風潮があります。「吉原に行って遊んでくるのはいいけど、素人女に手を出すのは駄目」という意識があり、心で嫉妬していても「浮気よ!」と怒ることは無かったようです。
葬式後の精進落としでも吉原を使っていたそうですので、庶民の間にかなり浸透した存在だったのでしょう。

みんな吉原遊郭で遊びたい!

廓(くるわ)で遊ぶことは江戸の人間だけでなく地方に住んでいる人からも憧れるものでした。仕事で地方から江戸に来た武士は、夜遊びはできないので昼営業の時に同僚と連れ立って吉原に繰り出していました。武士や商人以外にも、文人などの芸術家は吉原を好み足しげく通っていたとか。しかし『南総里見八犬伝』で有名な滝沢馬琴は遊里嫌いだったようですね…
驚くべきことに、実は僧侶も吉原で遊んでいました。僧侶は妻帯が禁じられていて妾を持つことも禁止です。ですが、江戸時代の寺院はとにかく乱れており、生臭坊主で溢れていました。そんな僧侶は医者に扮してよく出入りしていたそうです。
そこまでして遊びたいか!?って思いますが、それだけ魅力的な場所だったのでしょう。
しかし、そこで働く遊女たちの境遇を見てみると、きらびやかさの裏にあるどす黒さに、なんとも複雑な気持ちになりますね。

まとめ

遊女編、遊び方編合わせて5回、吉原遊郭についてご紹介して来ました。現在ではソープ街として有名になっていますが、かつては江戸の華々しさと暗部の混在した場所でした。映画や漫画などでも遊郭は魅力的に描かれますが、真の魅力は江戸の一部でありながらも独自のルールと文化を持った、まるで独立国家のような特殊さにあると私は思います。

どの国にも売春の歴史というものはありますが、日本は性に対しておおらかな国でしたので、このような発展の仕方をしたのでしょうかね。他の国の売春の歴史についても調べてみたくなりました。ちょっと調べてみようかなぁ…

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